伏見稲荷周辺の観光スポット

東丸神社

江戸時代の国学者、荷田春満(かだのあずままろ)が祀られている東丸神社。学問の神様として広く信仰を集める神社です。
参道に沿った絵馬掛けには、入試合格や学業上達を祈願する絵馬がびっしりと掛けられています。
※東丸神社は伏見稲荷大社の境内にありますが、独立した神社です。

大橋家庭園(苔涼庭)

瀬戸内の鮮魚を一手に扱う元請を家業としていた大橋仁兵衛が明治末から大正2年にかけて造園した別荘の庭で、親しくしていた七代目・小川治兵衛(植治)の監修を得て趣味で集めた12基の石灯籠をはじめ数多くの庭石を配し座敷の造りと調和させその眺めを楽しむ露地風の庭です。

東福寺

奈良の東大寺と興福寺から一字づつ取り名付けられた東福寺(臨済宗)は、筑紫の崇福・承天二寺から円爾弁円(聖一国師)を招き開山したのが始まりで、京都五山の一つにも数えられます。日本最古の三門は、国宝に指定されています。

泉涌寺

御寺の名称でも呼ばれる泉涌寺は、皇室の菩提寺で、境内の一角に清泉が湧き出たことからその寺名が付けられた。門をくぐって仏殿を見下ろしながら下っていく坂は、他の場所では見当たらないので新鮮な感じを受けます。

萬寿寺

万寿寺は、東福寺の塔頭です。白河天皇が皇女の御所を六条御堂というお寺にしたのが始まりで、その後浄土宗から禅宗に改めたのを機に万寿禅寺と名を変えた。1434年焼失し三聖寺に移り万寿寺という名になった。現在は、一般公開されてません。

師団街道

松屋ご案内地図にある師団街道の師団とは、大日本帝国陸軍第16師団のことです。明治時代、日清から日露戦争にかけての時期、帝国陸軍は軍備の拡張を図っており、明治38年(1905)、従来の12師団を17師団編成に増強しました。そのうちの第16師団支配下の第36歩兵連隊を始めとする多くの兵隊が、明治41年(1908)11月16日、京都深草の地にやってきたのです。
この師団街道は、京都の市街地と駐屯地を結ぶ道路として開かれたもので、軍用物資や兵隊などを運ぶ重要な道でありました。鴨川に架かる塩小路橋から、琵琶湖疏水の延長水路である鴨川運河に沿って南に下り、伏見インクライン付近で国道24号に合流しています。またこの道は、伏見の墨染寺にも通じていることから、墨染通とも呼ばれていました。

師団街道「第一軍道」

松屋から少し南に行くと龍谷大学が見えてきます。その南に建っている同大学の体育館あたりの敷地は、もと深草の練兵場でした。先の京都兵器支廠と練兵場の間を東西に通じる道が軍用道路で、今でも標識に「第一軍道」の名前が使われています。

師団街道「第二軍道」

第一軍道からさらに南には第二軍道があります。第二軍道は師団司令部に直結する道として重要視され、伏見駐屯の工兵第16大隊の直轄工事として行われました。 その軍道は、京阪電鉄と疏水をまたぐため、特に頑丈に造られています。
京都は空襲もごく一部で、戦争の惨禍を示す遺跡は多くありませんが、このような所に戦争の歴史の足跡が残されています。